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スタディカムによる長回し・ワンカットPV マッシヴ・アタックの『Unfinished Sympathy』は、どうやって生まれたか

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Photo by Martin Adams on Unsplash

 

マッシヴ・アタックの名曲『Unfinished Sympathy』のPVは、「スタディカムを長回し(ノーカット編集)の音楽用プロモーションビデオ」として、現代映像のベンチマーク的作品とも評されています。*1 自分も大好きなこのPVがどのような経緯で制作されたのかを調べました。さらに同地区・同時期撮影の映画作品との比較で際立つ、当時のロサンゼルスの捉え方についてなど。

『Unfinished Sympathy』について

 
 
 
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『Unfinished Sympathy』は、マッシヴ・アタックの2枚目のシングル。ボーカリストのShara Nelson(シャラ・ネルソン)、Jonny Dollar(ジョン・ドラー)らと共に制作され、自身のレーベル『Wild Bunch』から1991年2月11日にリリースされました。UKシングルチャート13位まで到達し、マッシヴ・アタック、シャラ・ネルソンの両名にとって最初のヒット曲になりました。

楽曲の特徴

マハヴィシュヌ・オーケストラの『Planetary Citizen』からサンプリングされた「Hey Hey Hey Hey」という声ネタ、Roland R8 Drum Machineのベル(Ring 1)音源を用いたリフ、ウィル・マローンによる壮大なストリングス・アレンジ、そして音源の半分以下の割合の尺しかないシャラ・ネルソンのボーカルパートが特徴的です。

このミニマルなアレンジについてメンバーの3Dは「セッションする中で、歌も含め要素をそぎ落とし『脱構築』的に制作したため」と説明しており、結果的に後のブリストル・サウンドを確立したとも評されています。

歌詞の内容

愛、喪失、孤独をテーマにしており「限られたやりとりしかできないけれど、あなたをもっと知りたい。このままの不完全な状態ではいられない」という内容が歌われています。制作期間中、シャラ・ネルソンは歌詞に登場する「Really Hurt Me Baby」を主題としていましたが、マッシヴ・アタックのメンバーが抽象性を求めた結果、最終的にタイトルが『Unfinished Sympathy(不完全な共感)』になりました。

PVについて

『Unfinished Sympathy』のプロモーションビデオがこちら。最高。

youtu.be

 

PVの主なスタッフ

監督:Baillie Walsh(バリー・ウォルシュ)

バリー・ウォルシュが監督したボーイ・ジョージのプロモーションビデオ 『Generation Of Love』を観たマッシヴ・アタックのメンバーが、楽曲にユルい( Loose)を質感を与えたいと考えたため、起用されました。

アートディレクター:Leigh Bowery(リー・バウリー)

リー・バウリーは、本作でアートディレクターとして衣装などを担当しています。彼はこうしたアートディレクション以外にも、クラブ・プロモーター、パフォーマンス・アーティストなどの顔を持っており、幼いレディ・ガガに影響を与えた人物でもあります。シャラ・ネルソンは彼が用意した衣装を賞賛し、マッシヴ・アタックは当時のロンドン・シーンっぽくドレスダウンされた衣装を用意され、メンバーの3Dは「とんでもない奴だ」と皮肉っぽく語っています。

撮影スタッフ:Dan Keene(ダン・ニース)

本作の超重要人物。ダン・ニースはステディカム・オペレーターとして携わりました。ステディカムとは映画カメラ用のスタビライザーマウントのブランドです。 オペレーターの動きを機械的に分離して、カメラが不規則な面を移動してもスムーズな撮影が可能にします。下記の画像のように重装備での撮影技術を要求されます。

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ダン・ニースは、デヴィッド・リンチの1986年の作品『Blue Velbet』でステディカム・オペレーターを担当し、その手腕を買われて本作に抜擢されてました。

長回しPVを作った経緯

バリー・ウォルシュ監督は、長回しのプロモーションビデオを作った経緯を以下のように語っています。

一発撮り/ロング・ショットは、ヒッチコックの『ロープ』、オーソン・ウェルズの『黒い罠』やロバート・アルトマンの『ショート・カッツ』*2などの映画で使われていたテクニックだけど、音楽のプロモーションビデオでは使われたことがなかったと思う。かなり難しい撮影だったけど、自分自身にチャレンジを与えるのが大好きなんだ。

 The Making of Unfinished Sympathy 

なぜロサンゼルスのダウンタウンが選ばれたのか

ロケ地はロサンゼルスのダウンタウン、サウス・セントラルにあるWest Pico大通り。この場所が選ばれたのにはいくつかの理由があります。

光の質感

この場所を選んだ理由を監督のバリー・ウォルシュは次のように語っています。

「自分がどこにいるか分からない程に愛や痛みを抱えながら、呆然と周囲に目もくれずストリートを歩いている」というフィーリングをキャプチャしたかった。そういった感情を撮影して、映画的に仕上げたかったんだ。だからロケ地としてロサンゼルスを選んだ。中心地から少し外れたあの場所の光の質感や広い通りが気に入ったんだよ。

 The Making of Unfinished Sympathy 

メンバーの3DもこのWest Pico大通りを「あんな美しい黄金の光は他では撮影できない」と評しています。

実は『Unfinished Sympathy』の大元の仮タイトルは「It Will Rain(雨が降りそう)」。シャラ・ネルソンがこのテーマを基にした制作に難航した過程で「I know that I’ve imagined love before」と歌い始めたところから世界観が今の内容に形成されていきました。もし「雨が降りそう」というテーマのままだったら、光とは真逆の映像になっていたかもしれません。

ギャング映画っぽさ

3DはWest Pico大通りを「マーティン・スコセッシの映画に出てきそう」とも表現しています。マッシヴ・アタックのメンバーは、マーティン・スコセッシの映画にとても強い影響を受けています。ワイルド・バンチ(マッシヴ・アタックの前身ともいえるポッセ)時代は、お互いを映画『Mean Street』の劇中のギャング名で呼び合ったり、『Taxi Driver』の頃のモヒカン頭のロバート・デ・ニーロが印刷されたTシャツを自主制作していた程だとか。こうしたアメリカのギャングへの憧れもロケ地決定の背景にあったといえるかもしれません。とはいえスコセッシの映画の舞台はニューヨークなのですが。

人材確保のため

さらに3Dは、ステディカム・オペレーターを担当したダン・ニースがロサンゼルス在住だったことも理由のひとつだったとも。91年当時、後ろ向きに5分間もステディカムを扱える専門性を持つ人材はUKに存在しなかったそうです。憧れのニューヨークではなくロサンゼルスのダウンタウンが選ばれた理由はこの点が大きそうです。

91年のロケ地周辺について

マッシヴ・アタックは、ロケ地に意味性ではなく質感を追求してサウス・セントラルを選んだようですが、この一帯はまもなく世界にとって、強い意味を持つ場所へと変わっていきます。

南には『BOYZ N THE HOOD』の撮影現場

ロケ地のWest Pico大通りから車で15分ほど南下すると、同じ1991年に公開された映画『BOYZ N THE HOOD』の撮影現場に到着します。

 

映画『BOYZ N THE HOOD』について

 
 
 
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Young Doughboy #BoyzNTheHood

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『Boyz n the Hood』は1991年7月12日に公開されたサウス・セントラルが舞台の映画です。ジョン・シングルトン監督のデビュー作でもあり、ラッパーICE CUBEの俳優デビュー作でもあります。サウス・セントラル地区の絶え間ない暴力と貧困を描写した監督自身の自伝的要素も含む本作は、第64回アカデミー賞で最優秀オリジナル脚本を受賞、最優秀監督にノミネート、カンヌ映画祭でも上映されるなど大きな賞賛を得ました。 

『Unfinished Sympathy』の冒頭、ギャングらしき格好の男性が銀色の玉(Baoding balls)を手で廻す印象的なシーンがありますが、『BOYZ IN THE HOOD』にもほぼ近しいカットが登場します。3Dが「何人かはエキストラだけど、その他はどいてくれなかったホンモノのギャングたちだ」と語っていることを踏まえると、冒頭の彼らは後者だったのかも・・・?

北には韓国系移民の街『コリアタウン』

一方、シャラ・ネルソンがWest Pico大通りをわずか数分北に向かって進んでいたら、韓国系移民が集まる町『コリアタウン』に辿り着いていました。

 

91年の『コリアタウン』、韓国系移民について

『Unfinished Sympathy』の撮影からわずか2ヵ月後、1991年の3月には韓国系移民とアフリカ系アメリカンとの間で生じた『ラターシャ・ハーリンズ事件』が起こります。これが翌年のロス暴動の要因のひとつとなりました。

『BOYZ N THE HOOD』を監督したジョン・シングルトンは、2017年にロス暴動のドキュメンタリー『L.A. Burning: The Riots 25 Years Later 』を公開。92年の暴動真っ最中のロケ地付近の様子、『コリアタウン』での銃撃戦を捉えた映像も含まれています。

www.youtube.com

 

同地域で撮影・同年に公開された2作品の隔たり

こちらは『BOYZ N THE HOOD』に登場するICE CUBE演じるダウボーイの有名なモノローグです。

起きてテレビを見たら「世界中に暴力がはびこってる」と言ってた。いろいろな外国の中継を見せながら・・・。俺は思った。テレビはこの町で起こっていることを知らないし、報道しないし、気にも留めない。外国のことばかり・・・

このモノローグの後に、改めて『Unfinished Sympathy』のコンセプト「愛と痛みを抱え、美しい光が差す中、自分が何処にいるかもわからないまま、周囲に目もくれず呆然とストリートを歩いているフィーリング」を読み返すと、91年当時、ロス暴動前夜のロサンゼルスに対する世界の無関心さを象徴しているようにも思えます。

サウス・セントラルにフィクショナルな質感のみを追い求め、意味性が排除された異国としての背景を記録した『Unfinished Sympathy』と、サウス・セントラルに実際に住む人たちの物語を記録した『BOYZ N THE HOOD』。PVと映画とはいえ、同地域・同時期に撮影された2作品には大きな隔たりがあるように感じました。

むしろ『Unfinished ~』のオマージュ作であるThe Verveの『Bitter Sweet Symphony』のPVの方が「コントロールできない状況のせいで自分の行動や人生を変えられない無力さ」を自国のストリートで歌っており『BOYZ N THE HOOD』に近いような。

 

もし『Unfinished Sympathy』の撮影がわずか数ヶ月でも遅れていたら、もし91年よりも前にロサンゼルスの状況が世界に伝わっていたら、サウス・セントラルでは撮影されておらず、このPVは別の形になっていたかも。

 

最後にロケ地West Pico大通りの現在の模様を。マッシヴ・アタックを魅了した「美しい光」が偶然にもキャプチャされていた・・・

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goo.gl




参照したリンクなど

www.theguardian.com

www.theguardian.com

i-d.vice.com


このブログの著者について

beipana (@beipana
コンポーザー、DJ、スティール・ギター・プレイヤー。2015年8月にデビュー7インチ『7th voyage』をJETSETよりリリース。同年11月に発売した、Nicole(My Little Airport)などが参加したデビューアルバム『Lost in Pacific』は、英国ウェブメディア『FACT』にてライターが選ぶ2016年ベスト盤にも選出された。

*1:

yamdas.hatenablog.com2019年8月27日記:yomoyomoさんのエントリーでのご指摘により、このエントリー公開時からタイトルと本文に記載していた"世界初"という表現を削除しました。本エントリー作成時、"ステディカムでのミュージックビデオ撮影が初の試み"という監督の発言を、構成するにつれ"世界初の長回し"とキャッチーなワードに解釈を変換してしまったのだろうと思います。失礼しました。yomoyomoさんのエントリーにはロングショット、ワンカットのMVの歴史がわかりやすくまとまっています。yomoyomoさんの訳書、自分も一冊持っておりました。恐縮…

*2:同じくyomoyomoさんのブログで指摘いただき『Absolute Beginners』を『ショート・カッツ』に修正しました。監督の発言自体も誤りがあるそうで、詳細がyomoyomoさんのブログに記載されています。