2018年9月に急逝したマック・ミラーの遺作『Swimming』が最高に素晴らしく、今更ながら彼に強い興味を抱くようになりました。キャリアを調べる中、ブログ期、フラット・ラップ、デビュー盤の酷評からの成長と逃避という3つの視点で語られていることに気付いたので、まとめてみました。
マックミラーについて
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マック・ミラーはアメリカ、ピッツバーグ出身のラッパー、ミュージシャン。00年代後半からミックステープを発表し始め、地元ピッツバーグに拠点を置くインディー・レーベルRostrum Recordsからデビュー・スタジオ・アルバム『Blue Slide Park』 を2011年11月にリリース。以降も自主リリースやワーナー・ブラザーズとの契約に移行しながら合計5枚のフルアルバムを発表。それ以前のミックステープも含めると、8年間でなんと18作品リリースしたことになります。2018年9月にカリフォルニアのスタジオで26歳の若さで急逝。死因はオーバードーズと伝えられています。ご冥福をお祈りします。
1.ヒップホップ・ブログ期とマック・ミラー
マック・ミラーは「ヒップホップ・ブログ期」を象徴するラッパーのひとりだと言われています。このヒップホップ・ブログ期とは何かをざっくり説明します。*1
ブログ期とは
明確な規定はありませんが、2005年~10年あたりを差します。この当時は新しい音楽、ダンスミュージックのリリースをチェックするにはMP3を配信するブログをフォローする必要がありました。特にアメリカのヒップホップ・シーンでは、最新曲のリーク情報だけではなくラッパーがブログをプラットフォームとして、無料のミックステープをリリースし始めた時期でもあり、ラジオや雑誌などのメディアに代わる重要な役割を果たしていました。
ブログ期の代表的なラッパー
この当時の代表的なラッパーとは、ブログをプラットフォームとし作品を発表しファンを獲得したラッパーを指します。具体的にはマック・ミラーはもちろん、J. Cole, Kendrick Lamar, Wale, Wiz Khalifa, KiD CuDi, Curren$y, Blu, The Cool Kids, Charles Hamilton, Dom Kennedyなど、現在も活躍する多くのラッパーが該当します。
代表的なブログ
NahRightを筆頭とし, 2DopeBoyz, YouHeardThatNew, OnSmash, XclusiveZone, DaJaz1、MissInfoがブログ期のカルテルと言われています。ブログ最盛期ともいえる2008年にブログPIGEON AND PLANEを立ち上げた元オーナーJacob Mooreが、当時のブログと既存メディアにおける象徴的な状況を語っています。
2008年に、COMPLEXの副編集長ブレンダン・フレデリック(Brendan Frederick)が、同社の編集スタッフ全員に対し「君達はこれから全員ブロガーだ。」と伝え、会社の方針を変えることを発表した。
一方、他の雑誌はビジネスモデルを変えず、雑誌広告の販売やイベントの開催に集中していたため、ウェブスタッフを追加で雇うことができず、紙媒体以外の選択肢を持つことが出来なかった。
Jacob Mooreは2011年にブログをCOMPLEXに売却しています。
ブログ期の終わり
2000年代後半には、著作権法がインターネット上でより厳しく施行され、ブログ時代の黄金期は終わりを迎えます。上述したカルテルのひとつ「OnSmash」のドメインが2010年に米国移民税関に買われたこともブログ期の終わりを象徴する出来事として捉えられています。
さらに同時期にソーシャルメディア、特にTwitterが爆発的に普及したことによって、ファンは好きなアーティストと直接つながり始め、ブログよりも早くニュースをチェック出来るようになったことも、その役割の終焉を意味しました。
ファンの声
マックミラーの急逝は、ヒップホップ・ブログ期が存在していたこと、そしてその時代がとても重要だったことを思い返すきっかけにもなっています。
The GuardianやOffBeat Magazineで執筆をする音楽ライターDavid Dennis, Jrは以下のように綴っています。
ブログ期のコミュニティがどれだけ密接なモノだったか、そしてそれが今も続いていることを実感している。マックはブログ期のアーティストであったし、彼の死はあのコミュニティの最初の大きな喪失でもある。
彼の死はあの時代へ私を連れ戻してくれた。あの頃はみんながお互いを必要としていて、お互いに支援するコミュニティを形成しなければならなかった。 アーティストはブロガーやビデオグラファーが、ブロガーにはアーティストが必要だった。 私たち全員がひとつになっていた。
I've found myself really affected by his death and really really affected by the way his death has impacted my friends. And I realize that a lot of the people I'm so sad for and consider friends are people I haven't met more than a handful of times
— David Dennis Jr. (@DavidDTSS) September 8, 2018
「Mac Miller、 Wiz Khalifa、 Big Sean、 Wale、 Curren$y、そしてDom Kennedy、そんな時代だった」というユーザーの声にも多くの共感が。
It was Mac Miller, Wiz Khalifa, Big Sean, Wale, Curren$y, and Dom Kennedy smh
— 🌐 (@ThisAintHunter) September 7, 2018
こうした「ブログ期の象徴の喪失」がまず一つ目の視点です。
2.フラット・ラップとマック・ミラー
デビュー盤の批評、そして彼を語る上で延々と付いて回るワードとして「フラット・ラップ」があります。フラット・ラップとは、そのまま訳すと男子学生クラブのラップ、要するに白人の男子大学生ラップということになります。酒を飲みまくるパーティー、ドラッグ経験、女性経験の数といったリリックの内容から、この名がつきました。
フラット・ラップの代表曲
2008年のアッシャー・ロスのヒット曲『I Love College』のリリックの内容がフラットラップを体現していると言われています。
そしてマック・ミラーが2010年、11年にリリースした2つのミックステープ『K.I.D.S』『Best Day Ever』の収録曲も代表曲として扱われています。歌詞だけでなく下記のトラックのような60'sからのサンプリングも、フラット・ラップの要素と定義されることがあります。
フラット・ラップの評価
好意的にこのサブジャンル名を使う状況はほぼ見受けられず、侮蔑的な呼称といえます。
ヒップホップは社会の重要な問題に関する話題だけを扱っているわけではないが、ヒップホップの文化基盤はそこに根ざしている。そのため、ヒップホップファンがフラット・ラップに感じる疑問は、本質的な音楽かどうかという点だ。
次項で詳しく説明しますが、音楽サイトPitchforkはマック・ミラーの1stアルバムをレビュー枠でこき下ろしており、その酷評の要因のひとつとして「フラット・ラップの無意味さ」を挙げています。
ミラーのファンたちが彼をフォローする理由は、彼の音楽のせいでは絶対にないだろう。ミラーは彼らに似ているからだ。彼らはステージ上のミラーの背後に自分自身を見いだせるからだ。
「フラット・ラップ」が現れたのはラップミュージック・シーンの過ちでもある。もしかしたら実在するのかもしれないが、シーンに傾倒する人々によって定義されてもいない未確認のワードだ。
ポップス界は、マック・ミラーのような人物が大学の白人男性層のファンを獲得するための扉を開いた。もし彼のファンたちが普段ラップミュージックに傾倒していない場合、マックミラー自身がラップシーンにエンゲージしていないのが理由だ。
マック・ミラーの反論
Pitchforkを始め、多くのメディアはマック・ミラーを(本人は大学を出ていないにも関わらず)フラット・ラップ代表として扱いましたが、本人は2013年のハフポストで以下のように語っています。
自分の音楽のイデオロギーは「幸せな音楽を作れば、リスナーは自分の問題を忘れられるし、俺も自分の問題を忘れることができる」というものだった。飛びはねたり、ただ踊ったりしていればみんな幸せなんだ。人生で何が起きているかを忘れることができる。 だからそういうものを作ったんだけど、周りは「あいつはカレッジの白人層にアピールしようとしている」って捉えたんだ。違うんだって!俺は子供たちを笑顔にしたかっただけなのに。
ファンの声
GQマガジンのライターの追悼文です。マック・ミラーの登場を上述のブログ期の他のラッパーとともに見届け、彼の中にだけ自分を見出せたと語っています。
Millerの音楽は、Asher Roth、Kid Cudi、Chiddy Bang、Childish Gambino、Wiz Khalifaのようなラッパーと一緒に、高校3年生だった自分たちのサウンドトラックだった。しかしMiller以外のラッパーの音楽は、あくまで理想であって自分の生活を反映したものではなかった。 Millerのミックス・テープは「そう、俺は君と同じような人生を送っている。学校に行って、友達と一緒にスポーツをしたりね」と『Kool Aid & Frozen Pizza』で歌っているように、複雑ではなく共感しやすくクールだと感じた。
初期のミックステープは、26歳の今の自分にはちょっと陳腐だけれど、友人のジープの助手席に座っていたときに感じた、安いビールの香り、私の顔に当たる風、背中のスナップバックは、空虚だけど大切な思い出だ。
ピッチ・フォークの「マック・ミラーのファンはフラット・ラップ的世界観をフォローした」という指摘はあながち間違いではないようです。とはいえ、それが無意味で劣っていると言い切るのはどうなんでしょうかね。批評というより単なるレッテル貼りのようにも感じますが。
フラット・ラップは大きな産業になっている?
やや脱線しますが、2018年10月にカルチャーメディアTHE RINGERが、フラット・ラップについて「もはや商業的に無視できない規模になりつつある」としてビースティー・ボーイズをその始まりと定義し、ポスト・マローンに至るまでの歴史を紐解く記事を掲載しました。
3.デビュー盤の酷評とマック・ミラー
最後の視点は、酷評されたデビュー盤とその後の彼の歩みについて。
デビュー盤について
デビュー作『Blue Slide Park』は、Rostrum Recordsから2011年11月8日にリリースされました。最初の1週間に145,000枚を売り上げ、インディー流通ながら米国ビルボードTOP200で第1位を記録するという16年ぶりの快挙を成し遂げます。
デビュー盤の評価
商業的に大きな結果を残した一方で、音楽的な評価はメディアで割れました。ネガティブなレビューも多く、上述のPitchforkの評価は、なんと10点満点で1点という採点。レビューもフラット・ラップへの言及以外にも厳しい内容が書かれています。
音楽的な新しさは持ち込まれておらず、視点も同世代のChildish Gambino達ほどユニークではない。マック・ミラーが支持されているのは音楽性ではなく、彼がファンと同じような存在だからだ。マック・ミラー同様に、ラップシーンとエンゲージしていない白人男性が彼のファンだ。本作品で客演ラッパーがひとりもいないのがその証拠だ。
この歴史的な酷評は、その後の彼のキャリアに延々と付き纏います。彼のインタビューやリリース時の記事には必ずこの件が登場するといっても過言ではありません。生前最後の2018年9月6日のVultureのインタビューでさえも、この件に触れられていました。
この酷評によって、彼に薬物依存と音楽的な成長がもたらされたと言われています。前者は本人の発言から、後者はその後の作品から読み取れます。
酷評がもたらしたもの:1.薬物依存(?)
2013年のCOMPLEXでのインタビューでは、マック・ミラー本人が「酷評が薬物依存の原因になった」と告白し、どんな気持ちだったかを以下のように語っています。
1stのレビューの多くは、人間として俺をこき下ろす内容だった。正直なところマジで最悪だった。19歳でファーストアルバムを出せてとても興奮していたんだ。だけど誰もそれをリスペクトしてくれる人がいないんだよ。
Pitchforkで例の酷評を書いた音楽ライターJORDAN SARGENTは、その後SPINに活動の場を移します。そしてなんと2013年にはマックミラーとの直接インタビューが実現・・・!こき下ろしたライターを前にマック・ミラーは酷評とドラッグの結びつきを否定します。
みんな俺がPitchforkのレビューを読んで薬物中毒になったと思っているみたいだけど。そんな「クソ!薬をやるぞ」って感じじゃないよ。 もっと若い頃からドラッグは自分の人生の一部だったんだ。ただそれについて語ったことがなかっただけだよ。
このように、ドラッグと酷評の結びつきは最初に本人が語ったにも関わらず、本人によって否定されてもいます。一般的には前者が広く認知されているケースが多いです。
「酷評が薬物依存の原因になった」という告白が話題になった当時、当人同士のインタビューという大きなトピックを作ることがSPIN誌の狙いだったのではないかと個人的には思います。そしてマック側は二度も同じライターの餌にならないため、自身の発言を否定することでそれをかわしたのではないかと。*2
いずれにせよ、Pitchforkで最低のスコアがついたことを当時マック・ミラーは信じることができず、午前4時に電話をしてきたことを彼のマネジャーが語っており、酷評が何かしら彼にショックを与えたことは間違いないように思えます。
酷評がもたらしたもの:2.自立と成長
デビュー盤リリースとツアーの後、マック・ミラーは拠点を地元からロサンゼルスに移し、精力的に楽曲を制作しました。2013年には満を持して2ndアルバム『Watching Movies with the Sound Off』をリリース。それまでに制作した楽曲数は400曲以上といわれています。結果、1stの汚名返上とばかりに各メディアで肯定的な評価を多く獲得しました。
その後について。細かく追っていくとキリがないので、デビュー盤との距離感などをメインにざっくりと記載します。
2014年
リリースしたミックステープ『FACE』は非常に暗い内容でした。2015年のビルボードのインタビューでは、本作品について以下のように語っており、1stの酷評を引きずっていることが伺えます。
自分が残す遺産について心配していた。 自分が死んだときにどう思われているかが全てだった。
Mac Miller on Sobering Up, His Nemesis Donald Trump and the Drake-Meek Mill Beef
2015年
ニューヨークに移住し『GO:OD AM』をリリース。ここでドラッグを克服したと本人は語ります。収録曲『Brand Name』では「27 Clubには入りたくないんだ」と、ドラッグやオーヴァードーズを否定するステイトメントのようなリリックも出てきます。
「27 Club」とはジミ・ヘンドリックス、ジャニス・ジョプリン、ジム・モリソン、カート・コバーン、エイミー・ワインハウスなど、主にオーバードーズやアルコールが原因で27歳に亡くなったミュージシャンを総称する際のワードです。
2016年
そして女性を通じた彼の人生観をテーマにした名作『The Divine Feminile』のリリース。
デビュー当時に掲げた「ただハッピーなものを作ってハッピーになりたい」というイデオロギーは、5年後の2016年に再び戻ってきたように思われました。
酷評がもたらしたもの:3 複数の変名(オルター・イゴ)による逃避?
こうしてマック・ミラー名義で活躍する一方、2011年以降はデリュージョナル・トーマス、ラリー・フィッシャーマン、そしてラリー・ラブスタインというオルター・イゴ的な変名でのリリースも活発になります。
マック・ミラー名義でアッパーなミックステープ『Macadelic』をリリースした2012年には、ラリー・ロヴェステイン&ベルベット・リバイバル名義でもジャズ音源『You』をリリースします。
2013年にはラリーフィッシャーマン名義でビートテープ『Run-On Sentences: Vol. 1』をリリース。同年その後リリースしたマック・ミラー名義の2ndスタジオアルバム『Watching Movies with the Sound Off』は、デリュージョナル・トーマスの暗い独り言で幕を開けます。
更に2ndリリース直後には、ラリー・フィッシャーマン名義のプロデュースによるデリュージョナル・トーマス名義のミックステープ『 Delusional Thomas』もリリースするという、かなり複雑な形態に。
これほど多くの別名義を活用した背景には、やはりマック・ミラーとしての評価から逃避したかったのではないかという見解も見受けられます。2012年の『 Delusional Thomas』リリース時のNoiseyのインタビューでは、以下のように語っています。
正直なところ、誰もこれ(Delusional Thomas)を気にかけたり本気にするとは全く思わなかった。ただ作ったってだけのものだよ。アルバムを完成させてからの数週間、ひたすらこの別人格に夢中になってんだ。
マック・ミラー名義作品の中で、これまでにないほど時間をかけ、何を歌っているかを模索しながら内面に向き合った2018年の遺作『Swimming』。その1曲目『Come Back to Earth』のリリックに登場する「他人のような隣人たち」とは、この3人のオルター・イゴたちのことなのではないかという見方も。
“I got neighbors, they're more like strangers / We could be friends / I just need a way out of my head / I'll do anything for a way out / Of my head” ?Mac Miller, “Come Back to Earth”
"他人のような隣人たち / 俺たちは友人同士かもしれない / 頭の中から抜け出さないと / なんとかして抜け出すんだ
ファンの声
同世代の追悼文からは、こうした葛藤を抱えながらキャリアを進めていく彼を支えにしつつ見守っていた様子が伺えます。以下はBillboardのライターMarina PedrosaがMediumに掲載した文章の抜粋です*3
あなたが年を重ね、成熟し、人生の多くを理解するにつれて、私も同じことを実感していました。マックは私のかけがえのない友の一人です。変化、夢、恐怖、野心、誘惑、悩ましい決断、その決断がもたらす結果をすべて受け止めました。あなたは悲しみ、快楽、衝動性、夜更かしの後に来る朝の後悔、そしてその気持ち良さを知っていました。私たちの葛藤と栄光を理解するだけでなく、あなた自身もそれを経験しているので、同世代全員に声を届けることができました。
一度も会ったことがないのに、私たちをとても理解してくれていると感じる人を失うのはとても辛いことです。17歳の私は、パーティー好きで中毒的で、いたずらな『Macadelic』が必要でした ー 成熟し、美しく気高さが積み重なった『Swimming』を必要としている今の25歳の私のようにー。
どういうわけか、あなたはいつも私の人生に必要なサウンドトラックを与えてくれました。子供の喜びと無垢さと、大人の混乱と痛みを同時に体現し、いつも私があなたとのあらゆる段階を経験しているように感じました。あなたが苦労していることは分かっていましたが、あなたの声は私を導いてくれました。私たちは本質的に全く異なる存在ですが、あなたはいつも私がしていたことを正しく理解してくれていました。
マック・ミラーはヒップホップ・ブログ期に登場し、フラット・ラッパーというレッテル貼りをされながら、その評価を覆したり逃避したりを繰り返しながら成長していった という感じですね。かなり複雑なキャリアのため、結論めいたことは書けませんが、デビュー以降、優れた音楽家と共に音楽的な成長をストレートに続けた・・・というシンプルな経歴ではなさそうです。
日本語でマック・ミラーについてググると、音楽面をフィーチャーしたサクセス・ストーリー的なサマリーはあるものの、こうした複雑なキャリアはあまりキャッチアップされておらず、亡くなった今となってはアリアナ・グランデとのゴシップに纏わるページが多くヒットする状況になってる印象です。
アメリカ本国では今もなお、マック・ミラーの作品を読み解く記事が日々掲載され続けていますし、日本語でもそこら辺をフォローしてくれるサイトが増えたら良いなと思います。
最後に、自分とマック・ミラーの出会いを簡潔に記します。
自分は『Knock Knock』で2010年代に彼の存在を認識しつつも、特に他の曲をチェックする程フォローはしませんでした。2016年にYouTubeで『The Divine~』収録の『Dang!』と『God is Fair,Sexy Nasty』を偶然耳にし、ようやく素晴らしさを認識しました。
そのきっかけになったのはアメリカのユーチューバー、サラ・バスカの動画。そして彼女もまたマック・ミラーの喪失を動画で語っています。
彼女もマック・ミラーを初期作品を元にフラット・ラッパー*4として認識してたようですが、2016年の『The Divine~』の変容ぶりに驚き、一気に虜になり、人生に大きな影響をもたらし、ライブに行くほどにファンになったと語ってます。サラの彼氏もまたマックの昔からのファンで、自分の人生と重ね、マックを友達のように思っていたそうです。
さらに動画のコメント欄には、マックのライブ会場でチケットを買えずに絶望して泣いていたところ、会場のバウンサーが見かねて入れてくれた・・・という思い出が語られていたり。こんな感じでひとつの動画にたくさんの人のマック・ミラー像が。
こうしてウェブ上で多様な共感が寄せられるのも、ブログ期に登場した音楽家ならではなのかもしれないなと思いました。日本に置き換えると同じポジションにいるのはトーフビーツさんとかですかね。マスから登場していないが故に、リスナー、フォロワーそれぞれに別々の思い入れがあるというか。
訃報のニュースを機に最新作『Swimming』を聴いてみたところ、2016年の楽曲からさらにトリッピー味が増して最高に自分好みの内容になっていて驚きました。ラップにそこまで造詣が深くないため、歌メインの構成も自分にピッタリでした。
お気に入りは、出だしのコーラスが中毒的な1曲目の『Come Back to Earth』。そして直前の楽曲の生音ストリングス・アレンジとの対比によって、アナログシンセメインのアレンジが一層ストレンジに聴こえるラストの『So It Goes』です。
『Swimming』の楽曲メインのパフォーマンスを観たかった。
rip to a beautiful beautiful soul.